亜女子言いたい放題会議

「亜女子アンケート」で取り上げたテーマに精通した方々をお招きして回答結果についての対談を行いました

亜女子から見た「日本」とは?

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【対談】「クールジャパン」って、一体どこが“クール”なのか?~曖昧感覚が日本のオリジナリティを生んでいる~

今日は、亜女子たちにアンケートした「日本について」の結果を見ながら、皆で思ったことを語り合う時間を設けました。亜女子が日本をどう見ているのか、を通じて、よく言われる“クールジャパンって何?“を考えるヒントになったらと思います。どうぞよろしくお願いします。


「相反するイメージが同居する」という面白さ

A子:

アンケートの回答に挙がったことは、特に目新しいというものではなかったのですが、亜女子のメンバーには留学経験がある人や、現在日系企業に勤めている人もいるので、日本のことがよくわかっているなあ、という印象が強かったです。我々日本人が“きっとそうだろうな”と思っていることを、亜女子も理解している、という印象です。

M氏:

まず、回答を見て思ったのは、日本について「原点と先端を合わせ持っている」という印象がある、ということ。京都に行って日本の伝統はいい、と言っているだけではなく、原宿のことも面白がっている、その両方をちゃんと見ている

T氏:

例えば、「鎌倉は歴史を感じる」けど「自動販売機はすごい」と、一人の人が2つのことを並べて回答している。日本人のイメージも「厳しいけど優しい」と言っていたりする。結局、日本人は“優しい”という肯定的な印象なんだろうけど、否定に近いワードと肯定的なワードが、“相反するもの”が同居しているというのが面白いよね。

S氏:

私は、回答で、「本屋が印象的」というのが面白かったです。あと、お土産菓子もたくさん挙がっていましたね。「東京バナナ」と「白い恋人」は皆挙げていて、この2つは定番、という感じ。あと、「日本人は厳しい」ということも多く挙がっていましたが、これはパンクチュアル(時間をきちんと守る)な厳しさ事に対して厳しく望む、という意味の印象なのでしょうね。

T氏:

今、僕らも、クールジャパンについて再度考えてみようと作業をしているところなんだけど、“日本の面白さは「方法」の面白さ”なんじゃないか、と思っているんです。一番の根本の方法はA but b。亜女子の回答にもあった、「ベースラインが高く、バラエティが豊か」というのは、普通、品質を上げる場合、バラエティは増やせないはずなのに日本では成立しちゃう。そういう、相反するものがうまく同居してしまう、というのが日本の面白さなのでは、と思ったりするんです。

A子:

そうですね。鎌倉と原宿のように、必ず「伝統」の部分と「今」の部分の両方を挙げている回答が多いですね。例えば、イギリスのイメージでも同じように「伝統」と「今」の両面が挙がったりするのでしょうか?

S氏:

イギリスの場合は、ウエストミンスター寺院と何か最先端なもののイメージが挙がったとしても、「A→BAからB)」という、大きな歴史の流れの中にあるように感じませんか?ヨーロッパの場合は、一続きになる感じがありますが、日本はそうではないような・・・

M氏:

日本は古いものはそっと保存するのに、自分が暮らしているところは壊しては新しくしている、考え方に、その「中間」というものがない、という建築家の話を聞きました。作ったものを100年使い続けるということがない。今後はその中間の感覚を意識しないといけないと言う。ただ、日本は法律がそうなっているから、改良しようと思ったら、道路を広くしないと直せないから、昔の建物を壊して新しくしてしまう・・・

T氏:

日本は国家予算のうち、建設に割いている予算が多いから、何かを壊して作るということが優先して起きてしまうのだろうね。パリは、ルイ14世がパリの街並みを設計して今もそのままになって続いている。日本は江戸を幕府が作ったけれど体系だってはおらず、こまごまと裏道が並んでいるような場所もあって・・・「きわ」を作っているとも言えるね。それは言わば曖昧な空間」。二分法できっちりとは分けられてなくて、悪く言うとごちゃごちゃしている空間を作っている。でもそれが、落ち着いた街並みとして見えていたり・・・。そういう感じが日本的、とも言える。そういう判然としない感じは「A but B」になるんじゃないかな。

S氏:

「普通の町にも山や神社がある(のは珍しい)」という亜女子の意見がありました。日本には一本松という地名が多いそうで、一本の松が町のランドマークだったんです。植物が、都市や人が住む町の中心にある感覚、というのは日本的だけれど、ヨーロッパにはその感覚がないかも。自然があるのは田舎、町や都市は人がコントロールしているという二分法で分けて考えている。日本は神社に森があり、都市の中に神社という自然があるのは当たり前の光景ですよね。

T氏:

「原点と先端を合わせ持つ」。A but Bで考えると「話をする自販機」とか、「初音ミク」のような、機械のような人、人のような機械、という感覚も日本特有かな、と思う。西洋人は機械と人を完全に分けて考えるでしょ。生身の人間でも二次元ともいえないものを三次元で捉えるというのは、海外ではあまりない感覚なのではないかな。

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人のようなマシン・マシンのような人

A子:

そういうことを普通の感覚だと思ってしまっていて、意識もしなくなっているのが日本の特徴なのかもしれませんね。ABとの認識もしていないのにくっつけたらそうなっちゃった・・・というのが多いのかも。

S氏:

キティちゃん騒動もありました。アメリカで、キティちゃんはネコなのか?女の子なのか?が話題になって・・・。日本人はネコか女の子かなんて考えたこともないし、どっちでもいい。アメリカで話題になって初めて、日本人は、キティちゃんはどっちなのか?なんていう視点で見たこともなかった・・・とわかったりもしました。

A子:

「ゆるきゃら」も、その感覚で捉えると日本独自のものになるのかもしれません。亜女子の回答に多く挙がっていた、日本のアニメやキャラクターについて、どう解釈したらいいんだろう・・・と思っていたんです。そういう感覚で捉えるとわかるような気がします。

T氏:

日本のようにデフォルメされたキャラクターは海外にはない。ディズニーも写実的。ミッフィーに口がないことが話題になる。海外ではキャラクターの口をなくすことも大変なことだったりする。ある種“曖昧にしていくこと”が問題になる・・・。

S氏:

日本には「ふなっしー」がいますけど・・・。「ふなっしー」は海外でもうけていますよ(笑)。

T氏:

「曖昧」と言えば他にも、「ハイチュウ」はガムなのか飴なのか?、「てりやきソース」は甘いのか辛いのか?、道の駅を高速道路の間に作る・・・など、いろいろと例があって。どっちかではなくその間(あいだ)をとったものが、日本にはジャンルを問わずとっても多いと思う。

M氏:

高速道路のサービスエリアがあんなに高度化するのは、そういう感覚を持っているからできることなんでしょうね。“車が止められればいいじゃん”、“ちょっとしたレストランがあればいいじゃ”では済まない。一方で早く行きたいから高速に乗るのに、なぜ日本人はサービスエリアで止まるのか?という素朴な疑問もわいてきますね(笑)。目的地に行きたくないのか?・・・みたいな。

T氏:

アウトバーンとは全く発想が違う。一見、合理的に見えて、全く合理的でない日本。仕事への厳しさも、(日本人は)真面目で合理的で無駄がなくて・・・と思われがちだが、本当のところは全然違う。仕事においては厳しいのかもしれないけれど、5時半過ぎるとだらしない・・・みたいなことはあるよね。

時間をコントロールする

A子:

だらだらしないで真面目にデスクワークして、時間になったら帰るという行動自体も、日本人イコール勤勉、と映っているようですね。

M氏:

日本人の勤勉さとは、「時間をきちんとする」というイメージに近いんだと思う。

A子:

それは、時間通り正確にやることに意味を見出したり、達成感を感じるということ、イコール勤勉、ということなのでしょうか?

T氏:

日本人の勤勉さ、労働については、「稲作」との関連についてよく言われますよね。南国だと何もしなくても二毛作から三毛作くらいできちゃったりするけど、日本はもともと植物が育たないところから、どう育てるかを皆で協働作業しながら生産をしてきたという背景があって、その時に皆で一緒に働くという行動ができた、という話。

M氏:

パンクチュアルということのもとになるのかもしれませんが、日本人は時間をコントロールして暮らしている、と置き換えてみたらどうかと思うんです。皆が一斉に昼ごはんに行く、一斉に通勤する、という時間を圧縮する」ことによって、日本人は他の時間に別の価値を生んでいるということがあるんじゃないのか・・・と。

S氏:

「時間を引き延ばす」ということもありますよね。懐石料理に時間をかける・・・もっと時間をかけずに食事はできるのにあえてゆっくり食事を楽しむ、とか。小刻み、圧縮、引き延ばし・・・など、日本は時間の使い方が面白いです。「時間の圧縮」をすることでメリハリができて、今はこれをする時間、という皆の合意が生まれる。「場を時間で作っている」ということ、とも言えそう。

A子:

 時間の圧縮、引き延ばし、という感覚は海外の人にはなさそうな感覚ですね。

T氏:

良くも悪くも、日本人は時間に敏感と言われるけど、結果それは、時間をコントロールしているということなのではないかな。ある時は楽しんでみたり、集中してみたり・・と。同じ時に同じことをなぜ一斉に行うのかと疑問に思うけれど、それは逆に、(一斉に人が動くことで)街の風景を変えているとも言える。ランチタイムは丸の内の風景が一斉に変わる、ということがあるわけで・・・。時間のコントロールだけでなく、場もコントロールする・・という感じかな。

A子:

日本に四季があることも何か関係がありそうですね。

S氏:

春の金閣寺、雨の金閣寺・・など、いついっても風景が違う、時間と天気で場が変わる という感覚が日本人にはあるけれど、海外の人は、その感覚は持ち合わせてはいないのではないでしょうか。

M氏:

気候の問題はありそう。一年中同じ気候のところはのんびり屋な気がしませんか?日本人の、時間のコントロールができるところは、四季の農耕生活によるリズム感や協働作業に関連がある、というのはわかるような気がします。近代化して日本が急速に工業力を高められたのは、稲作の労働があったから、それがベースになっていると言われることがあるけれど、まさにそうだと思う。

稲作DNA

A子:

「追求すること」が良いこと、なのですね、日本は。

T氏:

トヨタの“カイゼン”もそうだけど、ずっと日本人は昔から(追求・カイゼンを)やってきたのではないかな。例えば、稲作の稲の間隔を何センチにするか、とか・・・試行錯誤を繰り返したに違いない。そんな風にコメを育てた民族は他にいないのでは?

M氏:

私の祖先に、田や畑に糸を張ってまっすぐに植えるということを発明した人がいると聞いたことがあるんですよ。その人は発明家で、田畑は親戚一同で分配して皆で稲作をしていたそうです。

T氏:

そういう話の中に出てくるようなことが、日本人の民族の記憶として蓄積されていているはずだよね。日本人のDNAに組み込まれている。稲作DNA

A子:

“稲作DNA”は、今の若い人のDNAにも組み込まれているのでしょうか?

S氏:

“携帯電話のデコ”って、まさに稲作作業ですよね。海外の人は、ビーズをびっしり、隙間なく貼り続けるなんて忍耐がある、と評価するけれど、女子高生はそんなこと思ったりしない。

M氏:

“携帯電話に保護フォルムを貼る、更に、気泡が入らないように貼る”ということも近いかな。“気泡が入らないように貼る技術が開発される“というのも日本特有。稲作DNAのなせる技?ですよね。

「曖昧さ」を良しとする感覚

T氏:

日本のオリジナリティって、まとめてみるとやはり、良くも悪くも「曖昧」ってことだったりするんだよね。曖昧に解釈してしまって、悪いことになるか?と思いきやそうでもない。

A子:

更に、曖昧を「A but B」のように置き換えてみると、もっとよくわかるようになります。

 

M氏:

「曖昧」ではなく「中庸」といい表す方がいいのかな。間(あいだ)はいいのだということ。

A子:

「ゆるきゃら」の存在については納得してしまいました。日本のイメージとしてキャラクターがよく挙がる、というのはどういうことなんだろう、とずっと疑問に思っていたのです。

M氏:

まさか、“日本人には曖昧さを許容できる素養があって、そこからゆるきゃらが生まれた”なんて思ってもいなかったですよね。

A子:

アイドルについても同じ解釈なのでしょうか?以前の亜女子へのインタビューで、“日本のアイドルはクールではない”という否定的な意見もあったのですが。

S氏:

例えば、きゃりーぱみゅぱみゅは、海外ではキャラクターの延長として解釈されているようです。きゃりーちゃんは笑わないから、存在としてはキティちゃんと近い。日本のアイドルは、“表情がない”というのが不思議で目につくらしいです。アイドルの文脈ではなく、動くキャラクターという解釈のようです。それがクールジャパンだと感じられているみたいです。

T氏:

日本では、無表情をあえてするアイドルが多いよね。昔から、全然歌がうまくない歌手はいたけど、そういう歌手の基準がない感じが独自。きゃりーぱみゅぱみゅもある種の「方法」。同じ仕組みであれば別の人がやっても同じだったりする。

A子:

アイドルのイメージでは、ジャニーズも挙がってこなかったんです。他に、どういうアイドルが日本っぽく見えているのでしょうか?

S氏:

例えば「ベビーメタル」。海外では、アイドルとメタルが同時にある奇異な感じというのが特別に見えたりするみたいです。アイドルの基準に満たなくても、メタルの技術はなくても、別の次元で評価をされているという例。

M氏:

ベビーメタルって、どちらが主語になるんだろう。日本語は主語がわからなくても成立してしまうというのも“曖昧”ですね。日本人は、主客がはっきりしなくてもわかってしまう日本語に慣れてしまっている国民性なのですね。

T氏:

主語が曖昧、という話で、広島の原爆慰霊碑のことはよく取り上げられますよね。「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませんから。」と記載されているけれど、誰の過ちなのか、の主語が分からない。誰の過ちなのかを特定しない、曖昧にしているというのは知恵。特定できないことでポリティカルな問題に落ちていかないようになっている、日本語の仕組みでそうなっているんだよね。

A子:

曖昧さが良しとされるのは日本特有なのでしょうか?他のアジアにはない感覚なのでしょうか?

T氏:

アジアって、大きな塊で見ると、モンスーンのところは多神教で、おおらかで融通がきく。対して一神教、という構造。そういう宗教観も何か関係があるんじゃないのかな。マレーシアは宗教が混じっている。韓国は礼節を重んじる儒教の国。仏教の国はそう多くはないんだよね。タイはインドと中国の両方の影響を受けている。アジアの中部はヒマラヤ山脈があって、国同士が交わらないことも多かった。ヒンズー教も善悪だけで判断はされず、黒白をつけない考え方を持っている・・・。

M氏:

何でフランス人は日本が好きなのでしょうね?パリ万博、印象画・・・と、昔から日本に対するイメージが強い・・・。

S氏:

フランスのシェフが、日本のカップラーメンや焼きそばをアレンジするというテレビ番組がありました。日本の味がとても評価されていて、フランス風にアレンジするのはとても面白い、というシェフの意見。

A子:

再現するときに“少し変える”というのも、日本らしいのかもしれません。再現しながら表現するというか。明治維新、洋食文化が伝来したときも日本風に少し作り変えて広まりましたよね。

T氏:

島国であることも日本人の特有の意識を作っていることに影響するのかもしれない。そもそも国の成り立ちという点でも実は日本人は曖昧な存在なんだよね。縄文時代に日本人はいなかった。正式には縄文時代の日本列島民が正しい。日本人は国が脅かされることについての認識や、国内と国外についての認識が弱い感じがする。平安と江戸の時代に、あんなに戦争がなかった時期が長い国って少ないらしい。それがクールジャパンにつながっているかどうかはわからないけれど、日本って歴史的に変わった国ではあるらしい

バラエティが広くて“深い”

A子:

地方と都市部では、今までに挙がった“日本らしさ”や“クールジャパンになる要素” に違いがあったりするのでしょう か?

S氏:

地方のB級グルメや、お雑煮に代表されるように、地方毎にバリエーションがあるものは多いですよね。特に食。皆が知っているひな型から少しずつアレンジをしている。少しずつ各県がアレンジをして自分のものにしている。各県にご当地グルメがあるというのはすごい、と海外の人は感じるみたいですよ。

T氏:

全部ではなく“ヘリ”の部分でその地方の色を出す、というのは県民性として、皆の底辺にあるのかもね。一方で、東京はローカルなものをグローバル化する力がある。

A子:

バラエティが広い・・・たしかに、お雑煮は各県で違っていて、たくさんバリエーションがありますね。

M氏:

家電量販店もバラエティが広い、そして深い。ベースラインが広く、バラエティが豊かな形になっています。よく言えば“懐が深い”とも言える、でもつまりそれは“曖昧”ということにもなるのですが・・・。

T氏:

家電量販店でなぜ洋酒が売っているのか?羽根布団まであるし・・・。

S氏:

でも、そこを海外の目は面白いと思うのでしょうね。100円ショップも宝探しのように思えるようですよ。海外の人はお店に行くときに“こういうものがあるはずだ”と思って買いに行く。お店の定義が決まっているというか、お店側もそれ以上のものを揃えようとは思わない訳で・・・。家電量販店には家電と思っていたら、こんなものもあるのかという意外なことに驚いてしまう。そういうことは日本でないと体験できないですよね。いつ行っても違う、という店づくりは海外にはない。

M氏:

何かを探す時に、“あそこに行けばあるかな?”あそこにもあるかも!”といくつも思いつくこと自体がすごい話なのかもしれないですね。

機械の存在を消すように考える

A子:

日本は、このままの感覚でこれからも突き進んでいくのでしょうか?他の国のやり方に誘導されることがあってもいいの に・・・とも思うんです。例えば、クルマのように、成熟してしまったカテゴリーなどは、一律の価値観になっていくのでしょうか?

T氏:

そうだね。ハードウエアはこういう話の壇上に乗って来なくなってきている。専ら、ラーメンとかキャラクターとかの方が面白かったりするね。

S氏:

美容家電のカテゴリーはすごく進化しています。新たなものがいろいろと開発されている。美容家電は「A but B」の匂いがします・・・。そういう市場がこれから伸びるのかもしれません。

M氏:

日本に来た外国人が買って帰りたいものは温水洗浄便座とマッサージチェアだそうですね。これは、海外にはない家電、ですね。

A子:

美容に近いものでは、アジアが先行している例もあります。例えば、ネイルサロンは台湾で流行って日本でも定着するようになったし、写真館も台湾で流行ったケースです。

T氏:

最終的に機械の存在を消すように考えるのが日本人なのかもしれないね。ヨーロッパでは例えば、“BMWの乗り心地が心に残っている“とか、アルファとBMWの乗り心地の違いを語ったりする。機械は対象物として意識し続けるものになっている。一方で“日本のクルマは個性がない”とか言われるけれど、あれはクルマの存在を消そうとする方向に、人間にとってストレスのないものを追求する方向にもっていっているからこそ、そうなったのではないのかな。

S氏:

おもてなし商品の認定で、日本のモノ作りの例に、“軽くてかけていることを忘れるメガネ”や“立体裁断のシャツ”などが挙がっていました。メガネは「モノの気配をなくす方向、シャツは「着ているストレスがない」ということ。どちらも、人間にどんどん近付いていく、存在を消してしまう、というモノづくりの方向です。

M氏:

「ひたすら小さくする」というのも、機械の存在を消そうとすることに近いことで、日本のモノづくりの方向性になっていますよね。

T氏:

「A but B」でいうところの「man but machine」の発想だよね。Macが登場した時に、電源入れたらハローと挨拶してきたことに驚いた。自販機が話したり、you got mailと応答したり・・・。機械が応答性を持つということを、日本人はアメリカのグッズで接点を持ったとはいえ、実はそれってアメリカ的な考え方ではなく、すごく日本的な考え方なのかもしれない。ただもう、今は、機械はそういう存在になっていないのが海外の感覚ではありそうだね。

A子:

「man but machine」もそうですが、「machine but man」という考え方も両面あるというのが面白いですね。人が原点という方向に考えがち・・・と思いきや、人をマシン化して考えるという感覚もあるというところです。

T氏:

日本の教育は、ひらがなとカタカナを使い分けることが自然にできていて、高度なコミュニケーション能力が自然に身についているんだと思う。曖昧なものの言い方もできる。敬語、丁寧語も使い分けられる。使い分けの方法は“何となく”で理屈では教えられない、身についてしまっている当たり前のこと。そういう日本人のコミュニケーション能力の特有な感覚もすべてのことに影響しているんじゃないのかな

M氏:

そういう、さまざまな日本のモノづくりの思想につながるものが自分のDNAにも流れているのかもしれないと思うと、また面白いですね。

 


 

(編集後記)

日本や日本人の特徴としてよく言われる「曖昧さ」は、実はマイナス面ばかりではなく、
亜女子から見れば、「クール」とも言える日本独自の文化につながっているようだ。
この「曖昧感覚」をポジティブに見直すところに、「クールジャパン」の新しい発見があるかもしれない。

*この対談は、2015年1月に実施しました

 


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T氏

博報堂研究開発職
テーマ型の研究に携わるチームのリーダー
最近の研究テーマは「クールジャパン」

 

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S氏

博報堂研究開発職
T氏のチームに所属、T氏と共にテーマ型研究に従事

 

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M氏

フリーで活動されている、マーケティングプランナー
IT分野から生活者動向まで、“広くて深い”ご見識をお持ち

 

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A子

博報堂ストラテジックプラニング職
博報堂亜女子会議事務局メンバー
「亜女子言いたい放題会議」では司会進行とテキスト編集を担当

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